江戸時代、寒冷地では麻しか育たず、農民たちは麻を栽培し、糸を紡ぎ、染め、織って作った、麻の衣服で生活していました。南部菱刺しは、麻の荒い布目を麻の糸で埋めることで保温・補強する生活の知恵で、農作業の合間や農閑期の大事な手仕事でした。
白、黒、浅葱色が主だった南部菱刺しは、大正時代、毛糸が入ってくるようになると、一気にカラフルで華やかなものになりました。綺麗に刺した前垂れはよそ行きにしました。
安価で丈夫な既製服が普及すると、手間がかかる南部菱刺しは衰退していきましたが、近代、その技術やデザイン性が注目され、貧しい農民の文化だった南部菱刺しは、地域の大事な伝統工芸として再認識されるようになりました。